2018年11月24日

国宝スケッチ・東京港区・旧東宮御所 (迎賓館赤坂離宮)






【国宝】スケッチ、東京港区・旧東宮御所 (迎賓館赤坂離宮)

【 迎賓館 】外国の国家元首政府の長などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設。

所在地 - 東京都港区元赤坂二丁目1番1号、 

敷地面積 - 11万7000 (u) ( = 11.7 ha)

【 本館 】  構造 - 鉄骨補強煉瓦(れんが)石造 、  
                     延床面積15,000(m2



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歴史的建築物は、時代をうつす鏡でもあり、 「紀州藩屋敷跡」東宮御所、赤坂離宮へと変遷し、戦後の一時期「国会図書館」にもなったが、 外国からの賓客を迎えるために、旧赤坂離宮は5年あまりの 歳月をかけ改修が行われたのが、現在の「迎賓館赤坂離宮」。 2016年4月から通年で公開され参観が可能となった。

鹿鳴館などを手がけた建築家の一番弟子で、宮内省の宮廷建築家「仏ベルサイユ宮殿」「英バッキンガム宮殿」を参考に、東宮御所(皇太子の住居)として心血をそそいで設計した「ネオ・バロック様式」の建物は、明治天皇から「華美に過ぎる」と言われたそうです。


国宝・西洋風宮殿建築に出会う迎賓館赤坂離宮ツアー

国宝・西洋風宮殿建築に出会う「迎賓館赤坂離宮ツアー」を大人時間を彩る旅の情報サイト「トラベルバリュー」が紹介している。国宝にも指定され、日本唯一の「ネオバロック様式」の西洋風宮殿建築は、明治期の匠の技術を集結させた貴重な建造物。外交に支障のない範囲で一般公開されるこの機会に、都心で異国情緒に触れてみてはいかがでしょうか、、、、という“
クラブツーリズム”の日帰りツアーのようです。

『12/23限定!皇居一般参賀と通常は開放されない「正面玄関」より迎賓館赤坂離宮 特別参観と圧巻!

【新都心 出発】<WEB限定掲載>      

電話045-330-0077





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2018年10月09日

明治の建物スケッチ・旧帝国京都博物館本館 ( 京都国立博物館 )






明治の建物スケッチ旧帝国京都博物館本館(京都国立博物館)【重要文化財】


京都の東山七条に本格的な西洋風古典主義の壮大な建築物があります。それが、『明治古都館(旧帝国京都博物館本館)』です。 

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明治期も半ばになると、日本では国立の博物館や美術館の設置が国家的な課題となった。

1889(明治22)年には、東京上野にあった宮内省所管の博物館が帝国博物館に改称されている。

これが現在の「東京国立博物館」で、合わせて東京以前の都であった京都・奈良にも帝国博物館が設置されることになった。

旧帝国奈良博物館の完成に遅れること1年、『明治古都館(旧帝国京都博物館本館』は1895(明治28)年に竣工。

1895(明治28)年と言えば、日清戦争が1894(明治27)年に勃発し日本国中が戦争期に入っていた。 

しかし、京都では平安遷都千百年紀年祭が挙行され、平安神宮が建立された年。

旧帝国京都博物館は、1900(明治33)年に「京都帝室博物館」と改称された後、1952(昭和27)年に現在の「京都国立博物館」という名称に改称された。

 明治古都館は、免震改修他の基本計画を進めるため、2015(平成27)年から長期休館されているが、「平成知新館」での展示は継続中で、正門や庭などたくさんの見どころがあるそうです。

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2018年07月04日

水彩画風スケッチ・日本の世界遺産建築物ベスト25の22位・旧富岡製糸場・繰糸場






水彩画風スケッチ・日本の世界遺産建築物ベスト25の22位・「旧富岡製糸場・繰糸場世界遺産・国宝です。

「日仏文化の融合」

富岡製糸場:設計 フランス人 / 施工 日本の大工・職人

 大空間!柱のない "操糸所" 頑丈構造

操糸所:繭から糸を取り出していた場所
 トラス構造により柱がなくても 屋根を支える強度になっている。

■ 超精密!一流大工の職人ワザ


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〈富岡製糸場は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場。1872年明治5年)の開業当時の繰糸所繭倉庫などが現存している。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が「国宝」および「重要文化財」に指定されている。また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回「世界遺産委員会ドーハ)」で正式登録された。〉


「この繰糸場は、明治5年(1872年)に建てられ、それから操業停止の昭和62年(1987年)まで、115年間に渡り生糸を生産した工場である。木骨レンガ造で、内部に「トラス構造」という従来の日本にはない造り方が用いられている。窓はフランス製で、採光のために多く窓が取り付けられている。
創業当初はフランス製の繰糸器300台が設置され、世界最大規模の工場であった。
富岡製糸場では、全国から集められた女性たちが、働きながら器械製糸の技術を学び、後に地元の工場で指導者となって、日本の産業近代化と器械製糸工業の発展に大きく貢献した。」

〜現地案内看板より


「トラス構造」とは、橋梁の鉄骨構造です。構成される三角形を単位とした構造骨組の一種で、各部材の端部節点がすべてピン接合となっているものをいいます。荷重がかかっても各部材には軸方向に圧縮力か引張力しか発生せず、曲げモーメントを受けにくくなっています。そのため変形しにくい構造でドームなどの大空間や橋の架構に用いられています。

明治初期に、フランス人の設計とはいえ、トラス構造の橋梁技術があったのには驚きです。


水彩画風スケッチ・日本の世界遺産建築物ベスト25の22位・「旧富岡製糸場・繰糸場世界遺産・国宝です。

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2017年06月17日

水彩画風スケッチ・明治の建造物・旧帝国京都博物館本館






京都国立博物館(旧帝国京都博物館本館)は、京都市東山区茶屋町

にある博物館で、明治30年(1897)5月に開館しました。


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帝国京都博物館の建物は、明治25年6月に着工し、28年10月

に竣工しています。

とりわけ京都博物館の建築は、ルーブル宮が造られたフラ

ンス17世紀の華麗なバロック様式を取入れながら、いかに

日本的な叙情性や繊細な感覚が表現され、東山の自然に

調和した美しい景観を形成しています。

京都国立博物館が開館したのは、明治30年のことですが、

当時は帝国京都博物館という名称でした。


明治維新後まもなく政府が東京に設置した博物館は、国内

産業の振興を目的の一つとし、自然科学部門や動物園、植

園をも併設していましたが、明治19年(1886)に宮内省

の施設となり、寺院や神社が伝えてきた絵画、彫刻などの

美術工芸品を鑑賞するための美術博物館として再出発する

ことになります。

明治21年には臨時全国宝物取調局が設けられ、帝国博物

総長の九鬼隆一や理事の岡倉天心を中心として、社寺宝物

21点以上の保存と公開を図るために、その歴史的・芸術

評価を行なう大がかりな調査が実施されます。それと並

して、優れた美術工芸品が集中する京都と奈良に帝国博

を新設する準備が進められました。


この帝国京都博物館時代の建築は、近代日本の歴史的建造

物として重要文化財に指定されています。









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2017年06月15日

水彩画風スケッチ・歴史的建造物・100周年を迎える・横浜市開港記念会館







横浜市開港記念会館神奈川県横浜市中区関内地区にある歴史

的建造物で、国の重要文化財に指定されています。


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横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念し、市民の寄付金

により大正6年(1917)に創建されて以来、横浜の代表的建造物

の一つとして多くの市民に親しまれてきました。

昭和34(1959)年からは「横浜市開港記念会館」の名称で、中区

の公会堂として利用されています。平成29年7月1日、横浜市開港

記念会館は、開館100周年を迎えます。

赤れんがの時計塔が特徴で、時計塔の高さは約36mで、「ジャッ

クの塔」の愛称で親しまれており、神奈川県庁本庁舎キングの

)、横浜税関本関庁舎クイーンの塔)とともに「横浜三塔

の一つに数えられています。





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2017年05月31日

明治の建物スケッチ・東京・法務省旧本館・赤レンガ棟


明治の建物スケッチ・東京・法務省旧本館です。

法務省旧本館は、東京都千代田区霞が関にある歴史的建造物(重要文化財)。

この敷地は江戸時代米沢藩上杉家藩邸上屋敷)であり、その記念碑も建立されている。

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日本の中央官庁が立ち並ぶ霞ヶ関の北の端、桜田門の向かい、警視庁に相対する場所に、美しい赤レンガ建物があります。

日本の中枢を担う各省庁が集まる霞が関。その霞が関において、「桜田門外の変」で歴史的にも有名な皇居桜田門の目前に、美しい赤煉瓦づくりの威容を見せているのが、『法務省赤れんが棟』です。

ドイツ・ネオバロック様式の司法省(現 法務省)庁舎は、ドイツ人2人の建築家によって設計され、明治28年(1895)に完成しました。

この司法省庁舎(赤れんが棟)は、関東地方に甚大な被害をもたらした大正12年(1923)の関東大震災にも耐えましたが、昭和20年(1945)3月の東京大空襲によって、煉瓦壁と煉瓦床を残して焼失してしまいました。昭和25年(1950)に改修工事は完了し、その後、法務省の本館として使用され続けました。


















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2017年05月28日

明治の建物スケッチ・大阪市中央公会堂





大阪市中央公会堂、明治の建物スケッチです。

大阪市中央公会堂は、大阪市北区中之島にある集会施設。

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大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、明治44年(1911)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。
大正2年(1913)6月に着工、大正7年(1918)にオープンした。

建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建て。意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを持ち、細部にはセセッションを取り入れており、アーチ状の屋根と、特別室の天井画・壁画が特徴となっている。

各種の講演、会合などが催され、大阪市民に親しまれてきた。 ロシア歌劇団の公演、アルベルト・アインシュタインを始め、ヘレン・ケラーガガーリンなどの歴史的人物の講演も行われた。

大阪市中央公会堂は、日本有数の公会堂建築であり、外観、内装ともに意匠の完成度が高く、日本の近代建築史上重要なものとして平成14年(2002)に国の重要文化財に指定されている。老朽化が進んだため、平成11年から15年まで保存・再生工事が行われ同年11月にリニューアルオープン。耐震補強、免震レトロフィットやバリアフリー化がなされ、ライトアップもされるようになった。

リニューアルオープンした中央公会堂は、大正時代のネオ・ルネッサンス様式の歴史的建築物として、高い評価を受けている。保存・再生工事を終え、建設当時の風格と、壮麗で優雅な美しさをそのままに、照明・音響・舞台設備を一新した。

2段階の迫り出し舞台や音響反射板を新設した舞台設備は、コンサートや演劇・講演会などで臨場感あふれるダイナミックな音を楽しめる。また、国の重要文化財として指定を受ける施設でもあり、市民の皆様をはじめ大勢の方々のご協力を得て再生された公会堂を文化活動や学びの場として利用できる。









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2017年05月13日

明治の建物スケッチ・信越線の碓氷峠・旧丸山変電所






信越本線碓氷峠にある旧丸山変電所の建物スケッチです。

変電所は、明治四十五年に建築され、一棟が機械室で回転変流器と変圧器を収容していた。もう一棟は蓄電池室で、列車が上り勾配にかかるときに必要な電力を補うための蓄電池三百十二個が整然とならんでいた。

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群馬・長野県境の碓氷(うすい)峠は、かつては鉄道交通の難所でした。新幹線の完成とともに、群馬県の横川駅と長野県軽井沢駅の間の信越本線は廃線となったが、明治・昭和期に建設された路線跡の一部がハイキングコースに。トンネルあり、絶景あり、煉瓦橋あり、廃線跡ウォーキングが楽しめる。それに起点の横川ではあの名物駅弁“峠の釜飯も。碓氷峠の「アプトの道」を歩いてみるのも一興。

途中、煉瓦造りの「旧丸山変電所」が見えます。国の重要文化財です。

碓氷峠は幹線鉄道ではいちはやく、1912年に電化。丸山変電所は、当時の最先端の技術を投入してつくられた送電・変電施設でした。険しい峠越えは蒸気機関車では無理で、電気の力が必要だった。ここまで、横川駅から約2km。歩いて30分ほどの道のりです。

 信越本線丸山変電所跡は、廃墟マニアの間では有名な場所であった。しかし、現在では完全に修復が施され、国の指定重要文化財として保存されており、かつての廃墟のイメージは全く無い。

 信越本線横川〜軽井沢間は、1997 年 9 月 30 日に廃線となった。横川駅から廃線となった信越本線沿いに、軽井沢方面に向かって歩いて行くと、上信越自動車道の高架の下をくぐる。さらに進むと、進行方向右手に、レンガ作りの建物が2棟見えてくるが、ここが丸山変電所跡である。

廃線となった信越本線の軌道は、現在では「アプトの道」として整備され、ハイキングコースになっています。確か、吉永小百合さんがコマーシャルに登場していますよね。





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2016年10月22日

建物スケッチ・日本初の監獄ホテル誕生か・奈良少年刑務所




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日本初「監獄ホテル」が誕生か。現存する最古の刑務所「奈良少年刑務所」が観光施設に転用されることになり、話題となっている。

〔民間企業から提案を募集へ〕

奈良市の「奈良少年刑務所」をホテルや博物館など観光施設に転用するそうです。平成28年度末で閉鎖し、新たにホテルや博物館など民間が運営する施設として保存・活用していく方針とのこと。

この刑務所は明治政府が近代化を目指して全国に造った「明治五大監獄」の一つで、唯一建物全体の姿を残すものですが、年内に民間事業者から改修や運営方法を募り、事業提案の受け付けを開始するそうです。

〔現役最古の刑務所が廃止されホテルに 奈良少年刑務所〕

奈良少年刑務所は明治41年(1908)に「奈良監獄」として建設されたもので、現存する最古の刑務所で、同時期に完成した鹿児島や長崎、金沢、千葉の施設とあわせて「明治五大監獄」と呼ばれていて、当時の姿がそのまま残るのは奈良のみです。
重厚なレンガ造りで、ドーム屋根の円塔を持つ表門や放射状に並んだ収容棟など特徴的な建物があります。収容定員は696人で、26歳未満で初犯などの受刑者を中心に収容する。しかし老朽化が進み、耐震性にも問題があるとして、耐震補強や新築移転などを検討していた。一方で地元住民らは平成26年に市民団体「近代の名建築 奈良少年刑務所を宝に思う会」を発足させ、重要文化財の登録を目指して署名活動を展開するなど、保存活用の機運が高まっていた。現在で裁判中の被告を含め406人が収容され、閉鎖に伴って他の刑務所に移されるそうです。

海外には、元刑務所を「ホテル」に転用したケースは、多数あるそうです。 スイスの「ジェイホテル」は1998年まで刑務所として利用していた建物。ドイツの「アルカトラツホテル」も、刑務所として使われていた建物をホテルへと改装したとのこと。
通常の客室の他、鉄格子付の窓や囚人が作成したベッドなどがある独房スタイルの部屋もあり、ユニークなホテルとして人気を集めているそうです。 

建物スケッチ、日本初の監獄ホテル誕生か。奈良少年刑務所です。


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2016年10月15日

水彩画風・建物スケッチ・東京上野の旧岩崎邸



水彩画風建物スケッ、東京上野の旧岩崎邸です。


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旧岩崎邸庭園は、東京都台東区池之端一丁目にある都立庭園で、三菱財

岩崎家の建物とその庭園を公園として整備したもので、国の重要文化

に指定されています。敷地は、不忍池の南西に位置し、文京区湯島と

境を接しています。

《三菱財閥岩崎家の華やかな暮らしを垣間見られる》

明治11年(1878)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が牧野弼成(旧舞鶴藩主)か

ら邸地を購入した。

三菱創設者・岩崎家の本邸として建てられた旧岩崎邸庭園は、上野公園

や湯島天神が立ち並ぶ界隈にあります。

庭園内には明治29年(1896)に建てられた3つの建物が現存していますが

、なかでもゲストハウスとして使用された洋館が有名です。

ここは、年に1度の岩崎家の集まりや外国人・賓客を招いてのパーティー

に使用されていたそうです。

また、洋館の手前には広い芝庭があり、その所々で大名庭園の名残を感

じることができます。

《洋館》

洋館は、鹿鳴館ニコライ堂などを代表作にもつ英国人のジョサイア・

コンドル博士が設計を手がけたものです。

木造2階建て・地下室付きの建物で、17世紀英国で流行したジャコビアン

様式を基調に、ルネサンスやイスラムのモチーフ、米国・ペンシルヴァ

ニアのカントリーハウスのイメージなどを採り入れています。そのため

同時期に建てられた西洋建築よりも、繊細なデザインとなっているのが

特徴です。併置された和館との巧みなバランスは、世界の住宅史におい

ても希有の建築とされています。

《なりたち》

完成当初は15,000坪の敷地に20棟以上の建物がありましたが、現在は洋

館・撞球室(ビリヤード場)・和館の3棟のみが残っています。

第二次世界大戦後に国有財産となり、最高裁判所司法研修所などとして

使用されました。洋館と撞球室は、昭和36年に重要文化財に指定さ

れています。


大正12年(1923)の関東大震災の際には、屋敷地が避難所として地元住民に

開放されたそうです。

​【岩崎弥太郎

三菱財閥の創業者で初代総帥。明治の動乱期に政商として巨利を得た最

も有名な人物で、土佐国(現在の高知県安芸市)の地下浪人長男とし

て生まれる。

地下浪人(じげろうにん)は、土佐藩における身分の一種で、上士身分

浪人と区別して付けられた呼称であり、40年以上郷士身分であった者

が、郷士身分を他者に譲って浪人となって、地域に居付いた者を地下浪

人と呼んだ。

土佐藩の武士身分は上士(上級武士)と下士(下級武士)に分かれてお

り、上士は山内一豊に付き従って土佐に入った家臣等の子孫であり、下

士は長宗我部氏の旧家臣や土着の豪族層等の子孫が主な者であった。

上士と下士も細かく身分が別れていた。



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