2018年08月03日

水彩画風スケッチ・国宝・長崎大浦天主堂・世界文化遺産登録決定






水彩画風スケッチ、国宝・長崎大浦天主堂・世界文化遺産登録決定


2018年「世界文化遺産」に登録された長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、16世紀以降の日本におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧と、250年もの潜伏、そして奇跡の復活、という受容過程を示す長崎の遺産群であり、城跡・集落・教会建築で構成される。



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「大浦天主堂」は、長崎市にある「カトリック」の教会堂である。江戸時代幕末開国後、1865年元治2年)に建立された。日本に現存するキリスト教建築物としては最古。正式名は「日本二十六聖殉教者天守堂」。その名のとおり「日本二十六聖人」に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。


「日本二十六聖人」は、豊臣秀吉の命令によって長崎で「(はりつけ)の刑」に処された26人のカトリック信者。26人のうち、日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名で、すべて男性。


1953年(昭和28年)、「国宝」に指定された。また、2007年平成19年)にユネスコ世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まり、2018年(平成30年)に登録が決まった。2016年(平成28年)に、ローマ法王庁から特別な教会の称号日本初のバシリカ” に指定された。


【 ユネスコ長崎と天草「潜伏キリシタン」世界遺産へ 】

バーレーンの首都マナマで開催中の「国連教育科学文化機関」(ユネスコ)の第42回世界遺産委員会は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)の世界文化遺産への登録を決めた。江戸時代のキリスト教弾圧のなかで信仰を続けた希少な宗教文化が評価された。 登録はユネスコの諮問機関、「国際記念物遺跡会議」(イコモス)が5月、ユネスコに勧告していた。世界遺産の国内での登録は6年連続で22件目となる。

奄美・沖縄は登録延期

一方、環境省は世界自然遺産に推薦していた「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島、沖縄県)について、ユネスコの諮問機関、「国際自然保護連合」(IUCN)が「登録延期」と勧告した。

水彩画風スケッチ、国宝・長崎大浦天主堂・世界文化遺産登録決定です

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2017年02月07日

水彩画風・教会スケッチ・長崎県五島の楠原教会

長崎県五島の楠原教会・水彩画風スケッチです。

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楠原教会は、長崎県五島市岐宿町楠原にあります。

楠原は、1797年の五島藩要請で移住し、六方の浜から上陸した第1陣の外海キリシタンが開墾した土地の一つ。
五島崩れは、楠原にもおよび、1912年、ようやく現在のレンガ造の教会が建った。






迫害の日々が終わった。
教会が欲しいと思った。
長い年月をかけて、建設資金を積み立てた。
男たちは整地を行い、山から材木を切り出し、野良作業の合間を縫って建設作業に精を出した。
女たちは浜に出て貝殻を拾い集め細かく砕き、すり潰し、漆喰用の石灰を作った。
壁に使うレンガは2キロ以上も離れた海岸に陸揚げされ、子供達が学校帰り、持てるだけのレンガを運んだ。
信徒みんなが祈りながら、黙々と建築に関わった。
明治が終わろうとしていた。
待望の教会が建った。

​楠原教会のあゆみです。


















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2016年12月16日

外国スケッチ・コロンビア・ラスラハス教会




南米コロンビアにある、ラスラハス教会の水彩画風スケッチです。

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コロンビアとエクアドルの国境近くに、世界一美しい教会との呼び声も高いラスラハス教会

確かにその教会は美しい。しかしそれだけではなく、聖母マリアの奇跡が起きた場所であり、深さ100mを超える渓谷をまたぐように建てられた絶景地でもある。

1754年、谷川の岩に聖母マリアが現れたという伝説があり、その岩を取
り囲むように教会が作られました。

ラス・ラハス教会は、ローマカトリックの教会で、1916年から1949年の
間に地域の信者の寄進により建築された。名前にあるラハスのラハとは、頁岩(泥や粘土鉱物から成る堆積岩)のことを指す。この教会は渓谷の底部より100mの高さがあり、渓谷の反対側と50mの高さの橋により結ばれている。  

聖母マリアの岩や祠がある渓谷の片側に張りつくようにして建てられた教会は、渓谷に作られた足場を頼りに中央付近までのび、そこから対岸までが橋でつながった状態だ。渓谷に渡された橋の半分が教会になっているというと想像しやすいだろうか。



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2016年12月05日

外国スケッチ・ドイツ・ライプツィヒ・聖トーマス教会




トーマス教会は、ドイツライプツィヒに所在するルター派教会です。

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この教会はドイツ、ライプツィヒにあり、12世紀から原型となる教会が存在したが、現在の建物は15世紀に献堂式が行われたとのこと。

音楽監督(カントルバッハなどの著名人が多く、 バッハはトーマスカントル就任後に毎週、年間約50曲のカンタータを作曲・演奏するという精力的な活動をトーマス教会のために行なったそうです。彼の墓があることでも知られる。


ニコライ教会トーマス教会は、ライプツィヒの2つの主要教会として歴史上信仰と音楽の分野における重要な役割を果たしてきました。中でもトーマス教会は作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハゆかりの場所、そしてトーマス教会少年合唱団の活動の舞台として世界的に知られています。

マルティン・ルターは16世紀前半の聖霊降臨日に説教を行い、教会はプロテスタント・ルター派としてその信念を脈々と受け継ぎ、熱心なルター派信徒であったバッハは死を迎えるまで市の音楽活動を統括するトーマス教会音楽監督(トーマスカントル)を務めました。






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2016年04月28日

水彩画風スケッチ・長崎県五島市久賀島の「旧五輪教会堂」




水彩画風スケッチ、長崎県五島市久賀島の旧五輪教会堂の内部のリブ・ヴォールト天井です。



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長崎県五島市久賀島にあるキリスト教カトリック教会)の教会堂聖堂)です。明治14年(1881)に建てられたカトリック浜脇教会の旧教会堂をそのまま移築したもので、国の重要文化財に指定されており、ユネスコ世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の一つにもなっている。

昭和60年(1985)、隣接地にカトリック五輪教会が建てられたことにより福江市(現在は五島市)に寄贈され、保存公開されている。

この旧教会堂は、長崎県にある教会堂としては大浦天主堂(国宝)に次ぐ古さを持つ木造教会であり、移築の際に特に改修をしていないことから創建当時の姿を残している。

キリスト教布教が始まり、久賀島にも信者が多かったが、禁教令によってキリシタンは途絶えた。1797年以降、五島には外海の潜伏キリシタンが移住し、久賀島でも再びキリシタン集落ができる。


信徒発見後、浦上キリシタンに対する迫害「浦上四番崩れ」が起るが、五島でも明治元年(1868)以降「五島崩れ」が吹き荒れた。そのきっかけは久賀島で、信仰を表明すると200人余が6坪ほどの牢屋に8ヵ月間閉じ込められ、子どもを含む42人が死亡した。


やがて禁教が解かれ、​​明治13年(1880)になるとマルマン神父が下五島に常駐し、各地に教会を建てた。久賀島では1881年に浜脇教会が建てられ、昭和6年(1931)に五輪教会として移築された。そして半世紀が経ち、傷んだ五輪教会を取り壊して跡地に新教会を造ることになったが、解体寸前、貴重な文化財を守ろうとの声が起こり、新教会は横に造られた。

旧教会は、瓦葺木造ながらリブ・ヴォールト天井

(石やレンガで天井やアーチをつくる場合には、上方の中央部が盛り上がるように積んで崩れ落ちないようにし、このような組積み造りによる構造をヴォールトと言い、このヴォールトでできた天井に、リヴと呼ばれるアーチ状の筋をつけたものがリヴ・ヴォールト)

があり、初期の木造教会建築の代表例として、平成11年(1999)に国の重要文化財に指定されています。




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2016年04月27日

水彩画風スケッチ・長崎県五島列島久賀島の「浜脇教会」




水彩画風スケッチ、長崎県の五島列島・久賀島(ひさがじま)にある「浜脇教会です。

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久賀島は、長崎県の西に浮かぶ五島列島の一つの島で、長崎県五島市にある島。

カトリック教会編集

  • 浜脇教会
  • 旧五輪教会堂・五輪教会(五島市蕨町五輪)
  • 牢屋の窄殉教記念聖堂、久賀島に端を発する明治元年(1868)の「五島崩れ」でキリシタン弾圧に用いられた民家のあった場所に建てられた。

島内の教会は浜脇教会以外は原則として非公開になっている。また旧五輪教会堂は平成27年(2015)から見学の際には事前予約が必要となった。

五島列島南部・福江島の北東に位置する人口365人(2015年版市政要覧)の「久賀島」で、寛政年間(1789年〜1801年)、潜伏キリシタンの人たちは大村藩の迫害を逃れるため五島に渡り、「久賀島」にも多くの人たちが移住した。

福江島」から定期船に乗って「久賀島」に近づくと沖合から目にするのが「浜脇教会」です。
明治政府は、明治6年(1873)に禁教令を廃止し、キリスト教の信仰と布教を認めた。長きに渡った弾圧と迫害を乗り越えた信徒たちは、お金を出し合い自ら労働奉仕することで、明治14年(1881)に念願の初代「浜脇教会」を完成させた。

現在の教会は昭和6年(1931)に建て替えられたもので、高台にある白亜の「浜脇教会」は遠くからもはっきりと目にすることができる。


「浜脇教会」は常時見学可能(9:00〜17:00)ですが、ミサの時間は見学を遠慮すべしでしょう。




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2016年03月30日

またまた天才画家の絵を模写その5・佐伯祐三のパリ・オーヴェールの教会




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またまた有名天才画家・佐伯祐三の模写で模写その5とします。

関心のある人はどうぞ!

場所はパリのオーヴェールの教会で、ゴッホも描いています。

佐伯祐三は満30歳で結核で死去するまでの6年足らずの画家生活を、

2回パリに滞在し、代表作の多くはパリで描かれている。第1回のパリ渡

航は大正13年(1924)1月から約2年の滞在であった。ある時、佐伯はパリ郊

外のオーヴェール(ゴッホの終焉の地として知られる)に、フォーヴィ

スム〈野獣派・なんとダイナミックで荒々しい感じがなんともいいじゃ

ありませんか〉、画家ヴラマンクを訪ねた。佐伯祐三は持参した自作『

裸婦』を見せたところ、ヴラマンクに「このアカデミックめ!」と一蹴さ

れ、強いショックを受けたそうである。その後、何度かヴラマンクの所

に足を運んでいるらしい。事実、この頃から佐伯の画風は変化し始める

〈こんな天才画家でさえ、ショックを受けたり、だれかの影響を受けた

りするものなのですね。〉

この第一次滞仏時の作品の多くはパリの街頭風景を描いたもので、ヴラ

マンクとともにユトリロの影響がある。佐伯祐三はパリに長く滞在

することを望んでいたが、佐伯の健康を案じた家族らの説得に応じ、い

ったん日本へ帰国した。パリでの友人らと「1930年協会」を結成してい

る。

なんといっても、今から90年も昔の話しである。

またまた有名天才画家・佐伯祐三の模写で模写その5​です。



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2015年08月04日

水彩画風スケッチ・「所さんそこんトコロ」レンガ造りの教会


​水彩画風スケッチで、7月31日テレビ東京放送の“所さんそこんト

コロ”人口たった一人の島〔ニッポン大調査!こんなトコロにナ

ゼ住んでいるのですか〕で、舞台となったのが長崎県五島列島

野崎島(長崎県北松浦郡小値賀町)でした。

この野崎島という島は端から端まで6kmぐらいという結構大き

な島ですが、1人しか住んでないという不思議な島ということで

、ナゼ住んでいるのかを探るというものでした。そんな島に定期

船が1日2便出ているという。上陸早々荒廃した何軒かの民家が

出現するも、現在は全く生活感が見られない。そこに1人の男性

が現れいろいろ話を聞くことに。

昔の小・中学校を改築して住居にしているという。一体何をする

人なのか。よくよく話を聞いていると、この島には教会があると

いう。それが野首教会といって、キリスト教(カトリック)の聖

堂です。現在野崎島は無人島になっているということですが、た

った一人の住民ということで、この教会の維持管理と案内や説明

係をしておられるということでした。

この教会は明治41年(1908)に教会建築の名工鉄川与助によって設

計・施工されたもので、初のレンガ造りの教会ということです。

教会が建つ「野首集落」は、潜伏キリシタンが移り住んだと言わ

れる集落で、野崎島にはかつて3つの集落があったそうです。

旧野首教会は、集落の17世帯の信者たちが、貧しい暮らしを続け

力を合わせて費用を捻出し、数年かけて建てたレンガ造りの教会

ということです。厳しい宗教弾圧を受けながらも信仰を守り抜き

、信仰の自由を手に入れたということです。

小値賀町が重要な文化財として昭和60年(1985)に全面改修、平成

元年(1989)に長崎県指定有形文化財に、平成19年に「長崎の教会

群とキリスト教関連遺産」として、ユネスコの世界遺産暫定リス

に追加されています。現在教会としては使用しておらず、観光

用のようです。

たった17戸の「祈りの力」が生んだ後世に残したい未来遺産とい

うことで、来年世界遺産に認定予定だそうです。

そんな、現在は無人島化していますが、たった1人で守り抜こう

としている、未来遺産の旧野首教会のレンガ造りの姿をスケッチ

です。


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2015年06月18日

水彩画風スケッチ・同志社大学礼拝堂



​水彩画風タッチのスケッチで、同志社大学礼拝堂(通称チャペル)

の建物風景です。この建物はアメリカン・ゴシック様式で国の重

要文化財にも指定されています。京都市上京区今出川通烏丸(か

らすま)という所に位置し、日本で現存するプロテスタントの教

会堂の中では日本最古の煉瓦造教会だそうです。

今出川通烏丸というのは、京都駅から烏丸通りを北へまっすぐに

行き、京都御所を過ぎてから今出川通りと交差します。それから

すぐに同志社大学が見えてきます。京都は碁盤の目ですから、昔

市電が縦横に走っていましたが、烏丸今出川で降車するとすぐ

志社でした。

同志社を創立したのは新島襄ですが、幕末の動乱の中、鎖国の禁

犯して単身渡米し、アメリカで日本人初の大学卒業者というこ

とで、脱国の船上で「Joe」という名を贈られたそうです。

そんな煉瓦造りの同志社大学礼拝堂の建物風景をスケッチです。


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2015年06月01日

水彩画風スケッチ・神田の街とニコライ堂


​水彩画風タッチのスケッチで、神田駿河台ニコライ堂その2です

。ニコライ堂としては前回4月21日にも投稿しています。

神田の街は、靖国通り沿いに神田の古本屋街、駿河台下のスポー

ツ用品街、明大通りの楽器店街が有名です。また4つの私立大学

(明治・日大・専修大・共立女子)が存在する学問の中心地でもあ

ります。その他に、神田川に架かる聖橋を渡ると順天堂大学病院

・東京医科歯科大学・本郷の東大病院と多くの大学病院や史跡・

湯島聖堂とか神田明神があるところです。

お茶の水駅がJR中央線にありますが、この駅名の由来は、2代

軍徳川秀忠が、鷹狩りの帰りに立ち寄ってお茶を飲みました。

それ以来、将軍家御用のお茶の水にされたといわれているようで


ニコライ堂は千代田区神田駿河台にあり、お茶の水駅のすぐ近く

す。正式名称は「東京復活大聖堂」といって、イイスス・ハリ

トス(イエス・キリスト)の復活を記念する大聖堂です。

そんなニコライ堂の大聖堂を、水彩画風に写生の絵にしてみまし

た。


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