2017年01月19日

水彩画風スケッチ・伊那市高遠町・藤澤御堂垣外の町並み





長野県伊那市高遠町藤澤御堂垣外(ふじさわみどがいと)の町並み、水彩画風スケッチです。

高遠町は、かつて長野県中部の上伊那郡に属したです。この町の高遠城址公園コヒガンザクラの名所として知られ、高遠藩の城下町でした。平成18年高遠町は(旧)伊那市長谷村の3市町村が合併して伊那市となり、117年の歴史に幕を閉じました。


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(向こうの紫色屋根の建物は問屋の越後屋、御堂垣外宿には脇本陣は置かれず「越後屋」「伊勢屋」等、問屋・油屋が脇本陣役を務めた。)

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(高遠町藤澤御堂垣外の本陣跡御門)



【伊那市高遠町​】
  実は、2000年5月からこの家並みをずっと見てきました。すでに今年で17年になります。明治時代に建てられた古い家、土蔵と黒色の太い大黒柱のある古民家をその時購入し、一時は通いの田舎生活を堪能することができました。築100年以上ということで、最初はほとんど廃屋でした。中に得体の知れないものが棲み着いているのではないかとも感じ、湿気を取るためにバルサンとか消臭剤を撒いてなんとか住めるようにはしましたが、山小屋のつもりでだったので特に補修やリフォームはせず、人からは別荘などと言われましたが、それにはほど遠く、まさに山小屋です。
  長野県の中でも標高が高い所にあり、真冬はほとんどマイナス10度以下に。室内の水の入ったポリタンクが一晩で凍りつきます。暖は炭火とたどん、外庭では古い倉庫にあった薪ストーブを再利用し、アウトドアで焚き火を楽しみ、以前からあった鉄骨の作業小屋を、手製でウッドデッキ風?にしてちょっとしたお茶ができるようにと。薪になる材木・枯木はふんだんにあります。夜空を見上げると降るような満天の星空、まさしく山小屋生活、夏は天の川などで夜空が真っ白、まさにミルキーウエイ。春は高遠城址公園コヒガンザクラが咲いて関東・中部圏から大勢の観光客が観光バスなどで押し寄せ、秋は農家の方がキノコ狩りに連れて行ってくれたり。
  町内には“さくらの湯”という日帰り温泉に露天風呂もあって、仕事のプレッシャーで潰されそうな時、よく利用させてもらい癒やされたものです。
  城址公園越しに南アルプスが聳え、高遠の町のはるか彼方には中央アルプスの眺望、杖突街道の杖突峠を越える時には諏訪湖が眼下に広がり、その先には屏風のような八ヶ岳の眺望が素晴らしい。高遠から見えるアルプスの峰々の、特に春先の残雪を抱いた頃の光景は特に素晴らしく、月に2〜3回出かけたことも。片道200キロあって、したがってガソリン代だけでも相当なもの。
  しかしこの古民家通いも17年経ち、集落の中にあることだし、もとの廃屋に戻すわけにもいかず、手放すことを考えました。空き家バンク、SUUMOなどに伊那市高遠町藤澤で登録しています。
  このスケッチの町並みは杖突街道沿いにあり、中央高速の諏訪南インターか国道20号の茅野市内から杖突峠を越えてやってくる街道沿いで、藤澤御堂垣外(ふじさわみどがいと)といいます。あるいは、中央高速の伊那インターから市内を抜けて来ると、白壁になまこ壁の町並みを抜け、高遠城址公園の麓を通り、藤澤地区に入ります。藤澤という所は、もともと参勤交代の通りで宿場町でした。スケッチにある、紫色の建物とその向こうの玄関にアーチのかかった建物が本陣跡です。

藤澤御堂垣外】(ふじさわみどがいと)

藤澤についてですが、伊那街道(杖突道・金沢道)の宿場町です。
山梨県北杜市から茅野市に入り、通りかかる国道152号線沿いにある静かな山合いの町です。

《江戸幕府は江戸へ往来する交通路として甲州道中・東海道・中山道・日光道中・奥州道中の五街道を整え、街道沿いに宿場を設けた。
御堂垣外(みどがいと)は伊那部(いなべ)〜高遠より金沢峠(松倉峠)を越え金沢から甲州街道を結ぶ金沢街道と、杖突(つえつき)峠を越え上諏訪へ至る杖突街道の合流点にあたる交通の要所にある。
大名は飯田藩2万7千石の堀候、旗本は知久(ちく)、近藤、小笠原、座光寺(ざこうじ)氏等がこの街道を往来した。
江戸時代を通じて高遠藩領である。大字藤澤の中の一つの集落である「御堂垣外」が宿場町であった。御堂垣外宿の設定年代は不明であるが、宿方由緒書などから、当初お茶屋が置かれ、天和年間(1681〜84)に設定されたと考えられる。
正式な名称は「伊那街道御堂垣外」といい、御堂垣外宿から甲州街道金沢宿に向かう道を金沢道、御堂垣外宿から杖突峠を経て茅野・諏訪に向う道を「杖突道」といった。
御堂垣外宿では享保10年(1725)お茶屋を廃して「本陣」を新設した。脇本陣はなく、問屋が代りを勤めた。本陣は大名・旗本・幕府役人の領内巡りや江戸への参勤交代時の宿所で、御堂垣外に正式に本陣が置かれた享保10年(1725)から明治維新まで藤沢八左衛門の藤沢家が世襲で永代本陣役を務めた。この街道を参勤交代に利用した大名は高遠藩・飯田藩や旗本達で御堂垣外宿から金沢峠を越えて甲州街道の金沢宿に向っている。
高遠藩3万3千石の内藤候の参勤交代では、高遠城を出発した日に御堂垣外宿で一泊し、江戸まで通常六泊七日で江戸に参府した。》

【現在の藤沢御堂垣外宿本陣跡】


今でも本陣跡には御門が残っています。説明によると建物内に上段の間も、江戸中期の枯山水の坪庭も残っているとのこと。 現在も国道152号線沿いに、往時を偲ばせるような土蔵旅籠建築が並ぶ街並みですが、旧家のような門構えの重厚な屋敷が多いのが御堂垣の特徴です。しかし、その多くが人は居住してないようで建物の荒廃が目立っています。かつて、街道随一の宿場町として栄えた御堂垣外も在は旧高遠町、さらに伊那市の両端部に位置する僻地の集落となり、観光バスなどが大量に通過するだけの、疎化の波の中にある街並みだとすれば、歴史ある街道が惜しまれます。しかし、街道に沿って宿場町当時の建物も残り、予想もしない感じの町並を発見する人も多いはずです。
posted by ミルクジジ at 08:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 国内スケッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして!ずいぶん遡って参りました。

昨日このまさにまさに"ゑちごや"さん、気になって調べに行ったんです!
どうしても気になって。お隣の駒ヶ根市、火山峠沿いに住んでおりますが中々わざわざ行く機会もなく、、今回やっとその機会が御座いましたので、30分位でしたがこのゑちごやさん裏の、まさに本陣後に田んぼをお持ちの方がたまたま諏訪からお出でになっていた所にお会い出来てお話しを伺ったんでした!

ゑちごやさんのあの門構えの屋根!
2年ぶり位に走った杖つき峠(合ってますか?)の街道のなかでも際立って目を惹きました!
どうにかやって調べられないかと、Google頼みで検索して伺ったんでしたm(_ _)m

こちらにお住まいだったんですね、スケッチお上手で羨ましいいろんな所にお出でなんですね。またじっくり読ませて頂きます、少しすっきりいたしました有難うございました!
Posted by 長野県駒ヶ根市 村田 at 2021年08月11日 20:02
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